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2010年4月 8日 (木)

ご冥福をお祈りいたします

 元広島東洋カープ選手、現巨人コーチの木村拓也氏が急逝しました。先日の試合前に倒れたとの報道があり、心配していました。私がカープを一番熱心に観戦していた時期に活躍していた選手ですし、私と同年齢で、子供さんも大きくはないでしょうから、他人事とは思えないです。

 独身時代、市民球場や天福球場に通った頃が懐かしく感じられます。木村拓也氏を中心にその記憶の断片を書き留めておくこととします。

 日南天福球場、キャンプを見に行きました。中心選手をひととおりチェックし、夕方になり選手たちも帰り始めていました。少し離れた場所にある室内練習場を覗くと、見慣れない選手が声を出しながらバッティング練習をしていました。それが木村拓也選手と、背番号を確認して初めて分かりました。その頃は控え選手で、名前を知っていた程度でしたが、よく頑張っているなと思いました。私の記憶では、その年が木村拓也選手がブレークした年であったと思います。確か開幕直前までは野手の控え一番手くらいの感じでしたが、二塁手を務める予定の外人がけがをして開幕スタメンに名を連ねました。開幕戦でマルチヒットを放つなど、開幕から打ちまくり、結局そのままセカンドのレギュラーになり、その後、ブラウン監督の構想から外れて巨人に放出されるまで、中心選手として活躍しました。

 失恋の傷心の中、快晴のサンマリンスタジアムで行われた公式戦、対ヤクルト戦(だったと思う)を見に行ったことがあります。木村拓也選手は当時絶好調で、3番で先発出場し、地元出身ということで大声援の中、3塁側内野席から見ていたのですがライト線に鮮やかな放物線を描く二塁打を放ったことを覚えています。カープが快勝し、気分が高揚したのか、帰途になぜか、振られた彼女にダメもとで電話をしたことも懐かしい思い出です。

 広島市民球場。木村拓也選手は、当時の達川監督の期待を受けて打てない守れない状態でも根気よく使ってもらっていた東出選手と二遊間コンビを組んでいました。東出選手につられるように、大事な場面でエラーをした記憶が、なぜか残っています。 

 巨人にトレードされた後は、あまり注目していなかったのですが、あらためてネット情報をみると、故障者の代役などで意外と出番は多かったようですね。2008年は124試合にも出場しています。キャッチャーがいなくなって急きょマスクをかぶり、無難にこなした試合などは、アンチ巨人の私も感動しました。ブラウン監督に干されて2軍暮らしをしているよりも、心機一転でチームが日本一にもなったし、なにより選手として巨人から必要とされていたようですので、野球選手としては最後に巨人に移ってよかったのかもしれません。

 カープ時代の木村拓也選手の応援歌のメロディーが、しばらく頭から離れそうにありません。ご冥福をお祈りいたします。

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